そして、トゥーマイ猿人(約700万年前)〜ホモ・ハビリス(250〜160万年前)〜ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス(30〜3万年前)〜ホモ・サピエンス・サピエンス(10又は20万年前〜) など、これらの化石の発見は人類が猿から進化してきたように見えなくもないが、これらは連続していない。
現代型の人類の化石が360万年前の堆積層から発見されたら、発見者の適格性は疑われ、年代が測定し直され、改めて人類以外の化石であるとされ、発見そのものは忘れさられてしまう事になると想像できる。
人類の進化に関する現代の定説は類人猿と現代型の人類が共存していた可能性を許さない。
しかし、人類の進化については、化石記録に多くの空白が存在する。
中新世(地質年代。約2,300万年前〜約500万年前までの期間)の化石と鮮新世(500万年前〜160万年前までの間)の化石を繋ぐ(400〜800万年前)化石が全く発見されていない。
人為的に切断したり、割ったりした痕跡が認められる動物の骨は太古に人類が存在していた事の証になりうるだろう。
ところが「人類が付けたというには、年代があまりにも古い」という理由で、除外されてしまうのだ。
恐らく、現代でも、様々な文化レベルが存在し、又人類に似た生物(ナマケモノやチンパンジー等)が生きているように、数百万年前も、文化レベルの違ういくつもの種族や進化レベルの違う人類及び人類に似た生物が共存していたのだろう。
そして、掘り出された遺物がその地層にそぐわないものであっても、事実は意外なほどあっけないものかもしれない。
例えば、その時代のゴミ捨て場や埋葬場用に掘った穴が、古い地層まで貫通していた場合もあるだろうし、崩れた山の断層にそういった穴を掘ったかもしれない。
また、オーパーツと呼ばれる遺物の中で、水晶髑髏やインドの錆びない鉄柱、プレインカの超極細糸など、本物かもしれないものも多いが、火星の人面岩のように見かけ上の模様だったことが判明した今、自然のいたずらである場合もあるのだろう。
参考文献
「人類の隠された起源」マイクル・A・クレモ、リチャード・L・トンプソン共著(翔泳社)
参考WEBサイト
人類の誕生
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-1/se-0-6.htm
ヴォイニック写本
http://www.geocities.co.jp/technopolis/9567/062.html
ESAの火星探査衛星が写した「火星の顔」の最新画像 - Technobahn
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200705021459&page=2
イシスは、オシリスの断片を繋ぎ合わせて、共にオリオン座に行き、交わってホルスを宿した。
イシスは聖霊によって受胎したのだ。
神功皇后も住吉大神の聖霊により応神を宿した。
ところが、万世一系のからみから、仲哀天皇の子でもあるように記述する必要があった。応神天皇の時代からオリオン座信仰へ移行している。
エジプト神話が日本神話に影響を与えたのか?
神功皇后を聖母であるとする伝承が各地に残されているようだ。
住吉大社の第1本宮〜第3本宮は三ツ星と同じ配置になっている。
西宮市の甲山(ピラミッドと言われている)はシリウスにあたる。
東の空にはヒアデスが現れ、次に牡牛座の脚部、ツメ、オリオン座の三ツ星と続く。
エジプトの場合、スネフェルが牡牛座の地(ダハシュール)に赤いピラミッドと屈折ピラミッドを造り、オリオン座の地(ギザ)に三ツ星を意味する三大ピラミッドが造られたことで完結した。
日本の場合も、牡牛座の地(大和)〜オリオン座の地(河内)つまり、橿原(かしはら)市大字洞の神武天皇陵から大阪府堺市北三国ヶ丘の反正天皇陵(初代〜十八代)まで天空の星の配置に平衡して整然と築造されていったようだ。
この天皇陵の計画的な配置は、古墳時代(3世紀半ばすぎ〜7世紀末まで)以前に構築計画が練られていたことを意味する。
反正陵・仁徳陵・履中(りちゅう)陵はオリオン座の小三ツ星と同じ配置になっており、仁徳陵はM42大星雲を地上に写したものだと言う。
日本には、おびただしい数の星座を模した遺構が存在することが分かった。
日本に風水理論が伝えられる以前に、古代の星信仰による巨石遺構が存在しており、それがベースになり、風水理論が応用され、古代の遺構を利用する形で都や神社仏閣が造られていったのだろう。
与那国島では、シリウスBに相当する海底遺跡があり、その東北方向に水瓶座(立神岩)、小熊座(サンニヌ台)、大熊座・北斗七星(軍艦岩)が並んでいる。
これらの配置は一体のものであり、海底遺跡は紀元前1万年頃に造られた。
つまり、(現在のところ)世界最古の星座遺跡である。
紀元前一万年頃の天空もこれと同じ方向、同じ間隔でシリウスBから北斗七星までが並んでいたと言う。
また、沖縄本島中部の北谷町で発見された粘土板岩(沖縄のロゼッタストーン)には、大熊座、小熊座、水瓶座が描かれていた。
それにしても、なぜライオン(シーサー)が沖縄にいるのだろう。
古文献の中に、西域諸国からライオンが中国の諸王朝に献上された記録があるというので、そのルートでライオンが伝えられたのか?
因みに、朝鮮経由で伝わったのが狛犬であるらしい。
中国は自国を獅子座の国と看做していたようだ。
アジア一帯に星座を当てはめると、日本の九州が御者座で、四国と近畿近辺が牡牛座、沖縄本島付近がオリオン座、与那国島からフィリピン辺りが大犬座、中国会稽山から、カンボジアアンコールワットまでが蠍座という配置になるようだ。
ライオンは古代オリエントやインドが本場だ。
とすると、やはりエジプトと日本の関係は以外と深いのかもしれない。
一般には、古代エジプト文明が先にあり、それが東のさいはて日本に伝えられたように考えるかもしれないが、日本にプロトタイプがあり、それがやがてエジプトで開花し、時代を経て日本に逆輸入されたとも考えられるのではないだろうか?
参考文献
「星空の卑弥呼 下」榊晶一郎著(星雲社)
参考WEBサイト
-天皇陵-
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/index.html
「天皇陵」
http://www.begin.or.jp/sakura/misasagi.htm
liondogの勉強部屋: 文献に見る中国へのライオンの伝来
http://benkyobeya.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_b2f0.html
沖縄シーサー紀行
http://www.wonder-okinawa.jp/011/roots/world/rw02/rw02.html
シーサー物語◇シーサーについて■シーサーの歴史や由来などです。
http://www.seasah.com/about_seasah.html
斑鳩(いかるが)は昴(スバル) - 平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図
http://blog.goo.ne.jp/efraym/e/0539e770e3a0b383de4873b0e9675cb4
タイ東北部の銅鉱石を原料とした青銅器の鋳造技術を約4000年前に確立し、3000年前には鉄器文化へ移行していた。
バンチェン青銅器の銅と鉛の配合比率は古代中国の遺物と一致するため、どちらが先か要注目だ。
南西諸島への技術の伝播も考えられ、与那国島海底遺跡が4000〜2000年前に造られたとする説(1万年以上前に造られたという説と対峙する)とは重なり合う。
クメール人の移動を助けたのは、ソロモン王国のタルシン船(交易船)であった可能性は高い。
そして「久米島」の名にその足跡を残している。
又、大国主命が「大来目部」という集団を率いていたという記述が記紀神話の中に残っていると言う。
縄文人と渡来系(弥生人)の二重構造の中で混血が続いていると言う。
縄文人に近い(人類学的又はミトコンドリアDNA分析)のはアイヌと沖縄の人々が、縄文人に近いが、1万2千年以上前には、別の集団として存在していたようだ。
日本ではアイヌと沖縄の人々に多いタイプの割合が24.2%で、韓国(19%)、中国(12.1%)と比べて多い。
日本人に自然との共生の文化や意識が強いのはこのためか?
ところで、与那国海底遺跡以外にも、建造者や年代が不明な石造遺物が数多く分布している。
ポナペ島(ナンマダール遺跡)、ミクロネシア・メラネシア海域に残るキノコ形の巨石遺構「ラッテストーン」、イースター島のモアイ像、インカ文明の空中都市「マチュピチュ」、巨大城塞「サクサイワマン」等々。
中でも、「ケンコー遺跡」は与那国海底遺跡の基本構造とよく似ており、自然岩盤を複雑に成形加工し、多くの直線と直角、平面が削り出されている。
近くには動物の彫刻があり、与那国海底遺跡に亀のリレーフがあることと類似する。
また、スタジアムに似た巨大な遺構があるところも似ている。
南西諸島には、多くの海底遺跡が見つかっている。
粟国島 西南部の筆崎から約300m離れた海底の岩礁に七つの真円の穴がある。
直径3〜5m、深さ3m程。
トゥージ(雨水を貯める貯水槽)か塩を作る設備であった可能性が高い。
伊良部島白鳥崎付近の"崖下"と呼ばれる場所の海底に直径2〜3mの丸い巨石が八個寄り添って、円形のストーンサークルを形成している。
巨石の下には支え石が置かれている。
慶良間諸島最南端の阿嘉島沖のトムモーヤ岩礁付近の海底にはセンター・サークルとストーンサークルや城郭(沖縄本島南部の王城城門とそっくり)が発見されている。
北谷町砂辺ビーチの沖合の石造遺跡群は陸上のグスクと同様の石材を組合せたような箇所もあり、グスクの原型の可能性もある。
宜名真(ぎなま)海底鍾乳洞からは9000年から7000年前(最大2万年前)頃のクサビ型石器が発見されている。
沖ノ島海底に沈む石造遺跡はかつて地上にあった祭祀施設であったかもしれない。
又、琵琶湖に沈む遺物の例は特異だ。
縄文時代から白鳳時代(約1万年余り)の年月をカバーしている。
世界に目を向ければ、アゾレス諸島付近の水深数千メートルの海底から、地上では生成されない(大気中でゆっくり冷えた場合にのみ生成される)岩石が発見されている。
アメリカ大西洋岸の大陸棚には建物、神殿、防壁、道路、港湾、都市の跡とみられる構造物が発見されている。
メキシコのユカタン半島・ベリーズ近海、アメリカのロードアイランド州ニューポートのプレントン岬沖、マイアミ川の南岸、フロリダ半島沖のバハマ諸島付近(アントロス島沖、ビミニ島北部、パラダイス岬の沖のビニミロード等)、フロリダ沖・古オーシラ川跡やフランスでもマルセイユ・コスケ海底洞窟で、2万7000年〜2万年前に描かれた壁画が見つかっている。
参考文献
「海に沈んだ超古代文明」クォーク編集部・編(講談社)
参考WEBサイト
遺伝子・DNAから日本人を考える
http://www.kumanolife.com/History/dna.html
日本人のルーツ・起源と特徴
http://www.asahi-net.or.jp/~uv6y-ysd/sex1_1_15jp.htm
『大神島』島の散歩(大神島観光・大神島の自然・大神島のアクセス)
http://shimanosanpo.com/churajima01/ohgami00/
大神島のミステリー
http://www.tai-ga.co.jp/johositu/minijoho/sonota/ogamijima1.html
諏訪湖から長野市あたりまでの道は蠍座に相当する。
赤色巨星アンタレスの位置は長野市松代町付近の皆神山(ピラミッドと呼ばれる山)がある。
皆神山はもし、本物のピラミッドであるとすると世界最古・最大のピラミッドということになる。
掲示板の「伝説」は、およそ信じがたい「磁力と重力制御」「宇宙基地」等とんでもない事が書かれている。
カゴメの宮には、ダビデの星が!
「松代群発地震」(昭和40年8月から約2年間)の震源地がほとんどすべて皆神山(火山ではない)の真下3〜5キロメートルで起きた。
ところで、蠍座の尾には、ν(ニュー)星とι(イオタ)星の二重星がある。
諏訪大社の上社・下社はこの二重星の位置にある。
信濃から出土された縄文土器には、この地特有のみずち紋様が付いている。
前3000年頃には、みずちを土地の神としていたのだろう。
みずち紋様は諏訪大社の祭礼の際、神木に打ち込む薙鎌(古くは背に陰線の入った小爬虫類の形であったという)とそっくりであると言う。
中国地方にはオリオン座が広がり三ツ星の位置は広島県床原市にあたる。
ここにピラミッドと呼ばれる葦嶽山がそびえる。
イザナミが葬られたとされている比婆山にはストーンサークル、巨大磐座が散乱している。同じ比婆山系の烏帽子山には「産子の岩戸」と呼ばれる女陰石、神文(巨石を両側に配している)、巨石を重ねた太鼓石、線刻のある条溝石がある。
この一帯は、巨星ベラトリックスにあたる。
九州を御者座に見立てると、赤い散開星団の位置には南九州の霧島火山群がある。
又、宗像大社-宇佐神宮(α星)-鵜戸神社-野間岬-愛宝山を結ぶと御者座と相似形になる。
ドゴン族の神話に現れたシリウスの例のように、その民族の神話や秘儀の中に近代の科学知識が組み込まれてしまうことがある。
深層心理学や神話学の研究を含めた幅広い判断が必要だ。
陸のシルクロードや海のシルクロードを通って伝えられた知識が混じり込んでいる可能性も考慮しなければならない。
古代において世界共通の夜の娯楽は、やはり星を見ることには違いないだろう。
もう一つ、闇の中から聞こえてくる物音も、神話や伝説を形成する素であったかもしれない。
参考文献
「星空の卑弥呼 上」榊晶一郎著(星雲社)
参考WEBサイト
史跡探訪備忘録:皆神山ピラミッド
http://www.aswe.jp/shashi/histry/bibo/960921MINAKAMI/
皆神山レポ
http://unit-g.sakura.ne.jp/minarepo04.htm
松代群発地震 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BB%A3%E7%BE%A4%E7%99%BA%E5%9C%B0%E9%9C%87
ドゴン神話とシリウスの謎
http://www.fitweb.or.jp/~entity/kodaibunmei/dogonzoku.html
海蛇座は頭がいくつもあるように見え、目にあたる星は赤色であり、腹部には赤色巨星アルファルドが輝いている。
生贄の少女は御者座、老夫婦はその両側のペルセウス座と双子座に当てはめることができる。
ギリシャ神話では、頭が9つのヒドラという水蛇に例えられている。
スサノオに退治され、その尾からは草薙の剣(天叢雲剣)が出てきたが、これは南十字星である。
「出雲国風土記」には、伊佐奈木只乃麻奈子(イザナギノマナコ)に座す熊野加武呂乃命(クマノカムノミコト)と記してある。
イザナギは牡牛座であり、その目はアルデバランである。
牡牛座のヒアデスの突端を楫屋(いうや)神社の地に合わせると、アルデバランの位置に熊野大社が座している。
熊野大社は牡牛座の眼に位置している。
出雲の神社の配置は牡牛座がベースになっている。
熊野山はアルデバランの位置に当たっているが、エジプトでは赤いピラミッド、伊勢では斎宮が立てられており、この星の位置には他にも多くのピラミッド形の山がそびえている。
もし、ピラミッド形の山が人間の造ったものでないとしたら、太陽や星々の引力等が地形若しくは、造山活動に大きな影響を与えているのだろうか?
楫屋神社を起点として、西と西南方向に"V形"が伸びている。
西方に注目すれば、古墳群が密集している場所-茶臼山-神魂神社(出雲で最古)-八重垣神社-玉造湯神社-出雲大社(エルナトに相当)がライン上に並び、西南方面へ目をやると、熊野大社・熊野山(アルデバランに相当)-須賀神社-須佐神社(蟹星雲に相当。元は宮尾山の山頂にあった)が並んでいる。
又、プレアデスの位置には美保神社がある。
因幡の白兎のも星座と関わりがあると言う。
オリオン座の下方にうさぎ座がある。
オリオン座の三つ星と小三つ星がほぼ一列に並び、丁度一列に並んだ鰐に見える。
大国主神(エルナト)は牡牛座と御者座(担いでいる大きな袋)を繋いでいる(大国主神は縁結びの神でもある)。
大国主神を祀る出雲大社もまた、御者座にある。
出雲に対して、高天原の神々は武甕槌神(タケミカヅチノカミ)と経津主神(フツヌシノカミ)を遣わした。
二神は剣の切っ先にあぐらをかいて座った。
これは、牡牛座の角に先に位置する獅子座のことであると言う。
武甕槌神を祀っているのは、宮城県塩竃市の塩竃神社と茨城県鹿島町の鹿島神社であるが、塩竃神社は平安時代の記録では別格の大社として扱われていたようだ。
鹿島神社は大和から見ると、東北東にあたり、夏至の朝日(エジプトと同じく、王の霊が蘇るという思想があったのか)の方向であり、そこに獅子座の神が祀られているのだ。
この位置は、前3000年頃の星の配置と同じであり、大和に一大勢力が存在していたことを意味するのか?
参考文献
「星空の卑弥呼 上」榊晶一郎著(星雲社)


