例えば、外国人と交流があったり、交際しているとする。
自分の国を相手に紹介するとき、日本の文化、産業、地理(名所名景)、特産物、歴史などを一般教養として身につけていれば、コミュニケーションの質も高まり、非常に重宝するだろう。
この場合、自国の文化等を大切にする心があればよく、愛国心とは違う。
自分の住んでいる町や村、故郷の素晴らしさを紹介する時は、郷土愛(?)のようなもので、愛国心とは違う。
ところが、国防や外交の立場となると、話は違ってくる。
現在、国(または州)というものが存在し、それによって様々な規制が存在するため、政治に係わる一部の人にとって愛国心は欠かす事のできないものである。
中途半端な政治知識で愛国心を鼓舞すると、韓国民衆の竹島問題への異常な反応や中国の愛国的黒客の戯れ事等が起こるのだ。
それは、日本が過去に経験したことでもある。
軍部の暴走は、民意に支えられていた。
尤も、朝日新聞など、一部のマスコミが民意を代表するような形で、民衆を戦争へと煽り誘ったことも指摘されているが...。
アメリカや戦前の日本の教育は、確かに短期的に国力を高め、民意を集中させるには都合がよいかもしれないが、衆愚政治に走りやすくする。
郷土愛と愛国心は(洗脳によるものでない限り)不連続ではないが、一般市民に対しては、「愛国心」というより、日本の文化や郷土愛を育むことを目的とすればよいのではないだろうか?
「君が代」「日の丸」についても、そんなに嫌なら、郷土の旗や歌を作ってみればよい。
GHQの戦後処理プログラムの一環として行われた「日本から愛国心をなくする教育改革」
によって、日本から愛国心が殆ど消滅した。
もしかしたら、日本人は世界一愛国心のない国民かもしれない。
それでも、(個人差はあるが)故郷が好きだったり、野山に行くと清々しく思ったりする。特に愛国心などなくても問題はないようだ。
本居宣長等の言うように、自然(おのずから)に帰れば、太古からDNAに組み込まれた日本人の心を再発見するかもしれない。
山鹿素行は、孔子の学問を通し日本と中国を比較した。
そして、日本こそが古代儒教で理想とされる中朝(中華)に値する国であると主張した。
余計なものは要らないのだ。
シンプルで行こう!
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