イシスは、オシリスの断片を繋ぎ合わせて、共にオリオン座に行き、交わってホルスを宿した。
イシスは聖霊によって受胎したのだ。
神功皇后も住吉大神の聖霊により応神を宿した。
ところが、万世一系のからみから、仲哀天皇の子でもあるように記述する必要があった。応神天皇の時代からオリオン座信仰へ移行している。
エジプト神話が日本神話に影響を与えたのか?
神功皇后を聖母であるとする伝承が各地に残されているようだ。
住吉大社の第1本宮〜第3本宮は三ツ星と同じ配置になっている。
西宮市の甲山(ピラミッドと言われている)はシリウスにあたる。
東の空にはヒアデスが現れ、次に牡牛座の脚部、ツメ、オリオン座の三ツ星と続く。
エジプトの場合、スネフェルが牡牛座の地(ダハシュール)に赤いピラミッドと屈折ピラミッドを造り、オリオン座の地(ギザ)に三ツ星を意味する三大ピラミッドが造られたことで完結した。
日本の場合も、牡牛座の地(大和)〜オリオン座の地(河内)つまり、橿原(かしはら)市大字洞の神武天皇陵から大阪府堺市北三国ヶ丘の反正天皇陵(初代〜十八代)まで天空の星の配置に平衡して整然と築造されていったようだ。
この天皇陵の計画的な配置は、古墳時代(3世紀半ばすぎ〜7世紀末まで)以前に構築計画が練られていたことを意味する。
反正陵・仁徳陵・履中(りちゅう)陵はオリオン座の小三ツ星と同じ配置になっており、仁徳陵はM42大星雲を地上に写したものだと言う。
日本には、おびただしい数の星座を模した遺構が存在することが分かった。
日本に風水理論が伝えられる以前に、古代の星信仰による巨石遺構が存在しており、それがベースになり、風水理論が応用され、古代の遺構を利用する形で都や神社仏閣が造られていったのだろう。
与那国島では、シリウスBに相当する海底遺跡があり、その東北方向に水瓶座(立神岩)、小熊座(サンニヌ台)、大熊座・北斗七星(軍艦岩)が並んでいる。
これらの配置は一体のものであり、海底遺跡は紀元前1万年頃に造られた。
つまり、(現在のところ)世界最古の星座遺跡である。
紀元前一万年頃の天空もこれと同じ方向、同じ間隔でシリウスBから北斗七星までが並んでいたと言う。
また、沖縄本島中部の北谷町で発見された粘土板岩(沖縄のロゼッタストーン)には、大熊座、小熊座、水瓶座が描かれていた。
それにしても、なぜライオン(シーサー)が沖縄にいるのだろう。
古文献の中に、西域諸国からライオンが中国の諸王朝に献上された記録があるというので、そのルートでライオンが伝えられたのか?
因みに、朝鮮経由で伝わったのが狛犬であるらしい。
中国は自国を獅子座の国と看做していたようだ。
アジア一帯に星座を当てはめると、日本の九州が御者座で、四国と近畿近辺が牡牛座、沖縄本島付近がオリオン座、与那国島からフィリピン辺りが大犬座、中国会稽山から、カンボジアアンコールワットまでが蠍座という配置になるようだ。
ライオンは古代オリエントやインドが本場だ。
とすると、やはりエジプトと日本の関係は以外と深いのかもしれない。
一般には、古代エジプト文明が先にあり、それが東のさいはて日本に伝えられたように考えるかもしれないが、日本にプロトタイプがあり、それがやがてエジプトで開花し、時代を経て日本に逆輸入されたとも考えられるのではないだろうか?
参考文献
「星空の卑弥呼 下」榊晶一郎著(星雲社)
参考WEBサイト
-天皇陵-
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/index.html
「天皇陵」
http://www.begin.or.jp/sakura/misasagi.htm
liondogの勉強部屋: 文献に見る中国へのライオンの伝来
http://benkyobeya.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_b2f0.html
沖縄シーサー紀行
http://www.wonder-okinawa.jp/011/roots/world/rw02/rw02.html
シーサー物語◇シーサーについて■シーサーの歴史や由来などです。
http://www.seasah.com/about_seasah.html
斑鳩(いかるが)は昴(スバル) - 平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図
http://blog.goo.ne.jp/efraym/e/0539e770e3a0b383de4873b0e9675cb4
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