ペルセウス座は尻を御者座に向け、中には天の川が煌いており、斑馬と見立てられる。
スサノオは斑馬に対し、天照大神は怒り、天の岩屋戸に隠れた。
岩屋の前では天宇受売命(あめのうずめのみこと)がストリップをし、手力男神(たづからおのかみ)が待ち構えている。
御者座の中の赤茶けた散開星団が乳首で、ヒアデスの"V"が陰部であった。
ヒアデス星団から伸びた天照大神の手は、御者座のエルナト(手力男神)に掴まれていた。それは、伊勢の大地にも描かれていると言う。
手力男神は「佐那県に座すなり」と記されており、三重県多気町の佐那神社には手力男神と天宇受売命が祀られている。
伊勢神宮の内宮-外宮にオリオン座の三ツ星を重ねると、伊勢地方北部の松阪から南部の志摩郡磯部町にかけて牡牛座・オリオン座とその周辺の星座が広がり、主要な星の位置には伊勢神宮関係の神社が位置している。
松阪市一帯はペルセウス座が広がり阿坂のあたりはアルゴル、佐那はエルナトにあたる。アルデバランは斎宮、メンカリナンは滝原宮、プレアデスは機織神社、シリウスは伊雑宮、尚、佐那神社にある「天宇受売命の和魂」(聖石)は、天宇受売命の上半身(御者座)とそっくりな形をしている。
エジプトでは巨星アルデバランの位置には赤いピラミッドが作られていた。
上賀茂神社もアルデバランの位置にあり、そこでも斉王制度が行われていた。
神と交わるのを目的としたものだったのだろうか?
プレアデス星団は7から8個の星が集まった姿であり、「織女八人」はそれに合わせて名付けられたのかもしれない。
アルタニクは内宮に当り、この星は特別に霊観念を持っていた。
丹後半島に乙姫座を重ねてみると、巨星スピカは京都府大江町の日室ヶ嶽に重なる。
θ(シータ)星の位置は大江山がある。ε(イプシロン)星の位置は久美浜湾があり、そこには兜山がそびえ、熊野神社が座し、山麓には巨石やドルメンがある。
β(ベータ)星の位置には、千石山がそびえ、ν(ニュー)星の位置には経ヶ岬がある。
γ(ガンマ)星の位置には、天橋立がある。
何れもピラミッドと呼ばれているか、あるいは神性な場所とされてきたと言う。
「古事記」「日本書紀」「神道五部書」などの記述はベースに陰陽道や宿曜道があったのか。
それとも、日本古来の星を見る技術があったのか。
陰陽五行思想は6世紀、宿曜道は8世紀には日本に伝来しているが古事記は712年、日本書紀は720年に成立しているので時間的に辻褄が合わない。
すでにインド占星術や陰陽五行思想等が日本に入って来ていたのだろうか?
否、エジプト、バビロニアやギリシャの占星術が伝えられたのか?
それとも、陰陽道や修験道の基になった思想体系に日本古来の占星術が含まれていたのか。
参考文献
「星空の卑弥呼 上」榊晶一郎著(星雲社)
参考WEBサイト
Onmyo-Do
http://astro.ysc.go.jp/izumo/onmyo.html
西洋占星術 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93#.E3.82.A8.E3.82.B8.E3.83.97.E3.83.88.E5.8D.A0.E6.98.9F.E8.A1.93

