北海道事業所は、北海道・青森・岩手・宮城・秋田・山形・福島・茨城・栃木・群馬・新潟・富山・石川・福井・山梨・長野(1道15県)をカバーし、2004年度末までに、PCB廃棄物を処理する。
日本環境安全事業(JESCO)による全国五カ所(北九州事業所、豊田事業所 東京事業所、大阪事業所、北海道事業所)の広域処理事業の一つで、2004年までに、約4000トンを処理すると言う。
PCBは、主に電気機器(高圧トランス、高圧コンデンサ及び安定器)用の絶縁油、業務用・施設用蛍光灯などに用いられた安定器(昭和47年8月以前に製造されたもの)、各種工業における加熱及び冷却用の熱媒体並びに感圧複写紙等に利用されていた。
1968年、カネミ油症事件(PCBが加熱酸化されるなどして異性体になったダイオキシン類のPCDF=ポリ塩化ジベンゾフランとの複合汚染であることが判明している)の他にも、学校の蛍光灯安定器の破損により、PCBを含む絶縁油が飛散する等の事が度々起きていた。
PCB特措法では国が処理基本計画を定め、それに即したPCB処理計画を都道府県および政令市等が定め、また事業者は2016年7月14日までに処分する責務が定められている。
PCBを化学的に分解する方法には、次のようなものがある。
1.脱塩素化分解法(アルカリ触媒分解法,化学抽出分解法,有機アルカリ金属分解法,触媒水素化脱塩素化法,金属ナトリウム分散油脱塩素化法,金属ナトリウム分散体法,金属ナトリウム脱塩素化法):PCBの分子を構成している塩素とアルカリ剤等を反応させてPCBの塩素を水素等に置き換える方法。
2.水熱酸化分解法(超臨界水酸化法,水熱分解法):超臨界水や超臨界状態に近い水によってPCBを塩、水、二酸化炭素に分解してしまう方法。
水の臨界温度は374℃、臨界圧力は220気圧で、この超臨界状態では、水は液体と気体の区別がつかないような状態(超臨界水)となる。
臨界点の少し手前では水のイオン積が増大し、加水分解反応が促進される。これによりPCBなどを、有毒物質を出すことなく処分できるようになる。
3.還元熱化学分解法(溶融触媒抽出法,気相水素還元法):還元雰囲気条件の熱化学反応によってPCBを塩、燃料ガスに分解してしまう方法。
4.光分解法(UV−触媒分解法):紫外線でPCBを構成している塩素を取り外してPCBを分解してしまう方法。
5.プラズマ分解法(PLASCON):アルゴンガス等のプラズマ(気体分子が高度に電離した状態)によってPCBを二酸化炭素、塩化水素等に分解してしまう方法。
その他、機械化学分解や溶融分解等がある。
事業者はPCBを2016年7月14日まで(北海道PCB処理施設は2014年までに処分する計画)に処分しなければならないのだが、それに携わる事業従事者は、PCB処理が完了したら、御用済みとなる。
ある発電所構内の請負業者に10年は続くという美味しい仕事が舞い込んだ。
受け入れ予定のトランスの数を計算すると、少なくとも15年否、PCB含有以外のトランスも全て受け入れるはずだから、トランスがなくならない限り、業務の規模は小さくなっても続くだろうということだった。
ところが、2014年でPCBの処理は終了予定だ。
遅れても2016年で仕事が無くなる。
参考WEBサイト
社会 北海道新聞
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/94083.html
カネミ油症の新認定患者、賠償求め初の集団提訴 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080523-OYT1T00351.htm
日本環境安全事業(株)(JESCO)
http://www.jesconet.co.jp/
室蘭民報ニュース
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2008/05/21/20080521e_01.html
超臨界水とはなんぞや?
http://www.tokai.t.u-tokyo.ac.jp/public/lab/beam/scw2/first.html
PCBの処理について
http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/sanpai/pcb-hp/syori/syori.htm
テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済
ユダヤ教自体もアシュケナジー系とスファラディ系とに区分されており、スファラディ系は、社会的地位が低いことが多い。
日本の公務員とそれ以外の人という二極化に似ているのか?
ロシアやドイツでのユダヤ人たちに対する大迫害(ポグロムやホロコースト)の被害者の多くはアシュケナジー系ユダヤ人だった。
「シオニズム」は、東ヨーロッパのイーディッシュ語圏のユダヤ人社会で生まれ、建国以前からイスラエルに移住して来たのも、主にこのロシア・東欧にいたアシュケナジー系ユダヤ人たちであったようだ。
このように、外国からパレスチナへユダヤ人が来るまでは、アラブ人とユダヤ人はお互い行ったり来たりしながら仲良く暮らしていたと言う。
「シオニズム」により争いが生まれ、アシュケナジー系ユダヤ人はアラブの盾とされている。
イスラエルは、外憂(自らが招いた困難)の他に内憂も抱えているのだ。
ところで、「ラビ」の称号を持つユダヤ人の著書は多い。
「ラビ」とは、アラム語およびヘブライ語で「わが師」を意味する。聖書と自分たちの伝統の研究に精通したユダヤの賢者のことである。
「 聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」ラビ・マーヴィン トケイヤー著
「 失われたイスラエル10支族」 ラビ・エリヤフ アビハイル 著
「ユダヤ製国家日本―日本・ユダヤ封印の近現代史」ラビ・マーヴィン トケイヤー 著
ラビ以外にも、日本に対して好意的なようだ。
「日本書紀と日本語のユダヤ起源」ヨセフ アイデルバーグ 著
「驚くほど似ている日本人とユダヤ人」 エリ・コーヘン 著
騙されてはいけない! あっ!!違うか。
慎重に対応すべし。
いずれも、日本を高く評価若しくは、親しみをこめて誉めているようだ。
過去に、数冊、日本とユダヤが何らかの関係をもっているというテーマを持った著作を読んだことはあるが、ここに挙げた著作はいずれも、まだ読んでいない。
参考WEBサイト
ユダヤ教 - MSN エンカルタ 百科事典 ダイジェスト
http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761556154/content.html
日刊ベリタ : 記事 : 反シオニズム、建国反対のユダヤ教超正統派が連夜の暴動
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200605092248222
「ヘブライの館 2」(THE HEXAGON)
http://hexagon.inri.client.jp/index2.html
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だからといって、無制限に利益を求めて暴走していいわけではない。
また、従業員の生活を支えなければならない。
組織の中で仕事をするには、命令系統と各部署間の連絡体制が重要となる。
経営者は適切な将来のヴィジョンを示さなければ、従業員のモチベーションは下がり続けるだろう。
職場における人間関係は、その企業の支配的空気に大きく左右されることになるが、個人個人の特質も人間関係を左右する要因だ。
各個人には、歴史、神話、思想やポリシー、嗜好や趣味等があり、健康状態や家族・周囲やマスメディアからの影響や条件反射などが関係している。
各個人の関係性に目をむければ、コミュニケーション上の問題が人間関係のウェートを占めるだろう。
人間は、いくつもの意識レベルでコミュニケーションする。
本音と建前などという捉え方もあるが、もっと本質的にとらえると、意識レベルの対話と無意識レベルの対話を多重に行っているということだ。
「はい」と言いながら、首を横にふる動作をしていたりする。
これは、意識レベルでは、同意する・従順である等を示しているが、無意識レベルでは拒否しているのかもしれない。
このような無意識からの表出をダブルシグナルと言う。
何気ない仕草や表情、声のトーンなどに表れる。
そして、対話する両者が互いに投影し、ドリームアップ(ある個人の内面の葛藤が、身近な人に投影され、その人がその葛藤ひきこまれてしまうこと)する。
その他、エンパシー等も関係するのだろう。
コミュニケーションの多くは言葉で成り立っている。
日本語は曖昧であると言う人は多いが、曖昧に使っているのは悪徳政治家や経営者であり、第一「曖昧」という言葉は日本語ではなかった。
漢字で書くと本来のその言葉の本質が分からなくなるものがある。
例えば、「はし」と言う言葉。
「箸」はその「はしっこ」に食べ物等をはさむもの。
「橋」は丘と丘等の「はしっこ」を繋ぐもの。
「端」は「はしっこ」のこと。
「嘴」は鳥類等の口の「はしっこ」
「梯」高いところ等にある「はしっこ」と繋げるもの
どうやら「はし」という言葉は、「はしっこ」と関係ある働きを意味しているようだ。
また、「け」と言う言葉は、ぼんやりただようことを意味し、
「けはい」は「気」が長く延びること。
「毛」も「気」もぼんやり漂っているし、「かほり」の香も漂っているものだ。
日本語は現象背後にある働きの幅広さをとらえた言葉が多いのだ。
ところで、言葉とは事の端であり、事のカケラである。
また、口にすることで、実現しようとする力が作用する。
言葉は大切にしたいものだ。
参考文献
不思議な
「人間関係にあらわれる未知なるもの―身体・夢・地球をつなぐ心理療法」アーノルド・ミンデル著(日本教文社)
「ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ 」中西 進著(小学館)
イシスは、オシリスの断片を繋ぎ合わせて、共にオリオン座に行き、交わってホルスを宿した。
イシスは聖霊によって受胎したのだ。
神功皇后も住吉大神の聖霊により応神を宿した。
ところが、万世一系のからみから、仲哀天皇の子でもあるように記述する必要があった。応神天皇の時代からオリオン座信仰へ移行している。
エジプト神話が日本神話に影響を与えたのか?
神功皇后を聖母であるとする伝承が各地に残されているようだ。
住吉大社の第1本宮〜第3本宮は三ツ星と同じ配置になっている。
西宮市の甲山(ピラミッドと言われている)はシリウスにあたる。
東の空にはヒアデスが現れ、次に牡牛座の脚部、ツメ、オリオン座の三ツ星と続く。
エジプトの場合、スネフェルが牡牛座の地(ダハシュール)に赤いピラミッドと屈折ピラミッドを造り、オリオン座の地(ギザ)に三ツ星を意味する三大ピラミッドが造られたことで完結した。
日本の場合も、牡牛座の地(大和)〜オリオン座の地(河内)つまり、橿原(かしはら)市大字洞の神武天皇陵から大阪府堺市北三国ヶ丘の反正天皇陵(初代〜十八代)まで天空の星の配置に平衡して整然と築造されていったようだ。
この天皇陵の計画的な配置は、古墳時代(3世紀半ばすぎ〜7世紀末まで)以前に構築計画が練られていたことを意味する。
反正陵・仁徳陵・履中(りちゅう)陵はオリオン座の小三ツ星と同じ配置になっており、仁徳陵はM42大星雲を地上に写したものだと言う。
日本には、おびただしい数の星座を模した遺構が存在することが分かった。
日本に風水理論が伝えられる以前に、古代の星信仰による巨石遺構が存在しており、それがベースになり、風水理論が応用され、古代の遺構を利用する形で都や神社仏閣が造られていったのだろう。
与那国島では、シリウスBに相当する海底遺跡があり、その東北方向に水瓶座(立神岩)、小熊座(サンニヌ台)、大熊座・北斗七星(軍艦岩)が並んでいる。
これらの配置は一体のものであり、海底遺跡は紀元前1万年頃に造られた。
つまり、(現在のところ)世界最古の星座遺跡である。
紀元前一万年頃の天空もこれと同じ方向、同じ間隔でシリウスBから北斗七星までが並んでいたと言う。
また、沖縄本島中部の北谷町で発見された粘土板岩(沖縄のロゼッタストーン)には、大熊座、小熊座、水瓶座が描かれていた。
それにしても、なぜライオン(シーサー)が沖縄にいるのだろう。
古文献の中に、西域諸国からライオンが中国の諸王朝に献上された記録があるというので、そのルートでライオンが伝えられたのか?
因みに、朝鮮経由で伝わったのが狛犬であるらしい。
中国は自国を獅子座の国と看做していたようだ。
アジア一帯に星座を当てはめると、日本の九州が御者座で、四国と近畿近辺が牡牛座、沖縄本島付近がオリオン座、与那国島からフィリピン辺りが大犬座、中国会稽山から、カンボジアアンコールワットまでが蠍座という配置になるようだ。
ライオンは古代オリエントやインドが本場だ。
とすると、やはりエジプトと日本の関係は以外と深いのかもしれない。
一般には、古代エジプト文明が先にあり、それが東のさいはて日本に伝えられたように考えるかもしれないが、日本にプロトタイプがあり、それがやがてエジプトで開花し、時代を経て日本に逆輸入されたとも考えられるのではないだろうか?
参考文献
「星空の卑弥呼 下」榊晶一郎著(星雲社)
参考WEBサイト
-天皇陵-
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/index.html
「天皇陵」
http://www.begin.or.jp/sakura/misasagi.htm
liondogの勉強部屋: 文献に見る中国へのライオンの伝来
http://benkyobeya.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_b2f0.html
沖縄シーサー紀行
http://www.wonder-okinawa.jp/011/roots/world/rw02/rw02.html
シーサー物語◇シーサーについて■シーサーの歴史や由来などです。
http://www.seasah.com/about_seasah.html
斑鳩(いかるが)は昴(スバル) - 平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図
http://blog.goo.ne.jp/efraym/e/0539e770e3a0b383de4873b0e9675cb4
タイ東北部の銅鉱石を原料とした青銅器の鋳造技術を約4000年前に確立し、3000年前には鉄器文化へ移行していた。
バンチェン青銅器の銅と鉛の配合比率は古代中国の遺物と一致するため、どちらが先か要注目だ。
南西諸島への技術の伝播も考えられ、与那国島海底遺跡が4000〜2000年前に造られたとする説(1万年以上前に造られたという説と対峙する)とは重なり合う。
クメール人の移動を助けたのは、ソロモン王国のタルシン船(交易船)であった可能性は高い。
そして「久米島」の名にその足跡を残している。
又、大国主命が「大来目部」という集団を率いていたという記述が記紀神話の中に残っていると言う。
縄文人と渡来系(弥生人)の二重構造の中で混血が続いていると言う。
縄文人に近い(人類学的又はミトコンドリアDNA分析)のはアイヌと沖縄の人々が、縄文人に近いが、1万2千年以上前には、別の集団として存在していたようだ。
日本ではアイヌと沖縄の人々に多いタイプの割合が24.2%で、韓国(19%)、中国(12.1%)と比べて多い。
日本人に自然との共生の文化や意識が強いのはこのためか?
ところで、与那国海底遺跡以外にも、建造者や年代が不明な石造遺物が数多く分布している。
ポナペ島(ナンマダール遺跡)、ミクロネシア・メラネシア海域に残るキノコ形の巨石遺構「ラッテストーン」、イースター島のモアイ像、インカ文明の空中都市「マチュピチュ」、巨大城塞「サクサイワマン」等々。
中でも、「ケンコー遺跡」は与那国海底遺跡の基本構造とよく似ており、自然岩盤を複雑に成形加工し、多くの直線と直角、平面が削り出されている。
近くには動物の彫刻があり、与那国海底遺跡に亀のリレーフがあることと類似する。
また、スタジアムに似た巨大な遺構があるところも似ている。
南西諸島には、多くの海底遺跡が見つかっている。
粟国島 西南部の筆崎から約300m離れた海底の岩礁に七つの真円の穴がある。
直径3〜5m、深さ3m程。
トゥージ(雨水を貯める貯水槽)か塩を作る設備であった可能性が高い。
伊良部島白鳥崎付近の"崖下"と呼ばれる場所の海底に直径2〜3mの丸い巨石が八個寄り添って、円形のストーンサークルを形成している。
巨石の下には支え石が置かれている。
慶良間諸島最南端の阿嘉島沖のトムモーヤ岩礁付近の海底にはセンター・サークルとストーンサークルや城郭(沖縄本島南部の王城城門とそっくり)が発見されている。
北谷町砂辺ビーチの沖合の石造遺跡群は陸上のグスクと同様の石材を組合せたような箇所もあり、グスクの原型の可能性もある。
宜名真(ぎなま)海底鍾乳洞からは9000年から7000年前(最大2万年前)頃のクサビ型石器が発見されている。
沖ノ島海底に沈む石造遺跡はかつて地上にあった祭祀施設であったかもしれない。
又、琵琶湖に沈む遺物の例は特異だ。
縄文時代から白鳳時代(約1万年余り)の年月をカバーしている。
世界に目を向ければ、アゾレス諸島付近の水深数千メートルの海底から、地上では生成されない(大気中でゆっくり冷えた場合にのみ生成される)岩石が発見されている。
アメリカ大西洋岸の大陸棚には建物、神殿、防壁、道路、港湾、都市の跡とみられる構造物が発見されている。
メキシコのユカタン半島・ベリーズ近海、アメリカのロードアイランド州ニューポートのプレントン岬沖、マイアミ川の南岸、フロリダ半島沖のバハマ諸島付近(アントロス島沖、ビミニ島北部、パラダイス岬の沖のビニミロード等)、フロリダ沖・古オーシラ川跡やフランスでもマルセイユ・コスケ海底洞窟で、2万7000年〜2万年前に描かれた壁画が見つかっている。
参考文献
「海に沈んだ超古代文明」クォーク編集部・編(講談社)
参考WEBサイト
遺伝子・DNAから日本人を考える
http://www.kumanolife.com/History/dna.html
日本人のルーツ・起源と特徴
http://www.asahi-net.or.jp/~uv6y-ysd/sex1_1_15jp.htm
『大神島』島の散歩(大神島観光・大神島の自然・大神島のアクセス)
http://shimanosanpo.com/churajima01/ohgami00/
大神島のミステリー
http://www.tai-ga.co.jp/johositu/minijoho/sonota/ogamijima1.html
諏訪湖から長野市あたりまでの道は蠍座に相当する。
赤色巨星アンタレスの位置は長野市松代町付近の皆神山(ピラミッドと呼ばれる山)がある。
皆神山はもし、本物のピラミッドであるとすると世界最古・最大のピラミッドということになる。
掲示板の「伝説」は、およそ信じがたい「磁力と重力制御」「宇宙基地」等とんでもない事が書かれている。
カゴメの宮には、ダビデの星が!
「松代群発地震」(昭和40年8月から約2年間)の震源地がほとんどすべて皆神山(火山ではない)の真下3〜5キロメートルで起きた。
ところで、蠍座の尾には、ν(ニュー)星とι(イオタ)星の二重星がある。
諏訪大社の上社・下社はこの二重星の位置にある。
信濃から出土された縄文土器には、この地特有のみずち紋様が付いている。
前3000年頃には、みずちを土地の神としていたのだろう。
みずち紋様は諏訪大社の祭礼の際、神木に打ち込む薙鎌(古くは背に陰線の入った小爬虫類の形であったという)とそっくりであると言う。
中国地方にはオリオン座が広がり三ツ星の位置は広島県床原市にあたる。
ここにピラミッドと呼ばれる葦嶽山がそびえる。
イザナミが葬られたとされている比婆山にはストーンサークル、巨大磐座が散乱している。同じ比婆山系の烏帽子山には「産子の岩戸」と呼ばれる女陰石、神文(巨石を両側に配している)、巨石を重ねた太鼓石、線刻のある条溝石がある。
この一帯は、巨星ベラトリックスにあたる。
九州を御者座に見立てると、赤い散開星団の位置には南九州の霧島火山群がある。
又、宗像大社-宇佐神宮(α星)-鵜戸神社-野間岬-愛宝山を結ぶと御者座と相似形になる。
ドゴン族の神話に現れたシリウスの例のように、その民族の神話や秘儀の中に近代の科学知識が組み込まれてしまうことがある。
深層心理学や神話学の研究を含めた幅広い判断が必要だ。
陸のシルクロードや海のシルクロードを通って伝えられた知識が混じり込んでいる可能性も考慮しなければならない。
古代において世界共通の夜の娯楽は、やはり星を見ることには違いないだろう。
もう一つ、闇の中から聞こえてくる物音も、神話や伝説を形成する素であったかもしれない。
参考文献
「星空の卑弥呼 上」榊晶一郎著(星雲社)
参考WEBサイト
史跡探訪備忘録:皆神山ピラミッド
http://www.aswe.jp/shashi/histry/bibo/960921MINAKAMI/
皆神山レポ
http://unit-g.sakura.ne.jp/minarepo04.htm
松代群発地震 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BB%A3%E7%BE%A4%E7%99%BA%E5%9C%B0%E9%9C%87
ドゴン神話とシリウスの謎
http://www.fitweb.or.jp/~entity/kodaibunmei/dogonzoku.html
海蛇座は頭がいくつもあるように見え、目にあたる星は赤色であり、腹部には赤色巨星アルファルドが輝いている。
生贄の少女は御者座、老夫婦はその両側のペルセウス座と双子座に当てはめることができる。
ギリシャ神話では、頭が9つのヒドラという水蛇に例えられている。
スサノオに退治され、その尾からは草薙の剣(天叢雲剣)が出てきたが、これは南十字星である。
「出雲国風土記」には、伊佐奈木只乃麻奈子(イザナギノマナコ)に座す熊野加武呂乃命(クマノカムノミコト)と記してある。
イザナギは牡牛座であり、その目はアルデバランである。
牡牛座のヒアデスの突端を楫屋(いうや)神社の地に合わせると、アルデバランの位置に熊野大社が座している。
熊野大社は牡牛座の眼に位置している。
出雲の神社の配置は牡牛座がベースになっている。
熊野山はアルデバランの位置に当たっているが、エジプトでは赤いピラミッド、伊勢では斎宮が立てられており、この星の位置には他にも多くのピラミッド形の山がそびえている。
もし、ピラミッド形の山が人間の造ったものでないとしたら、太陽や星々の引力等が地形若しくは、造山活動に大きな影響を与えているのだろうか?
楫屋神社を起点として、西と西南方向に"V形"が伸びている。
西方に注目すれば、古墳群が密集している場所-茶臼山-神魂神社(出雲で最古)-八重垣神社-玉造湯神社-出雲大社(エルナトに相当)がライン上に並び、西南方面へ目をやると、熊野大社・熊野山(アルデバランに相当)-須賀神社-須佐神社(蟹星雲に相当。元は宮尾山の山頂にあった)が並んでいる。
又、プレアデスの位置には美保神社がある。
因幡の白兎のも星座と関わりがあると言う。
オリオン座の下方にうさぎ座がある。
オリオン座の三つ星と小三つ星がほぼ一列に並び、丁度一列に並んだ鰐に見える。
大国主神(エルナト)は牡牛座と御者座(担いでいる大きな袋)を繋いでいる(大国主神は縁結びの神でもある)。
大国主神を祀る出雲大社もまた、御者座にある。
出雲に対して、高天原の神々は武甕槌神(タケミカヅチノカミ)と経津主神(フツヌシノカミ)を遣わした。
二神は剣の切っ先にあぐらをかいて座った。
これは、牡牛座の角に先に位置する獅子座のことであると言う。
武甕槌神を祀っているのは、宮城県塩竃市の塩竃神社と茨城県鹿島町の鹿島神社であるが、塩竃神社は平安時代の記録では別格の大社として扱われていたようだ。
鹿島神社は大和から見ると、東北東にあたり、夏至の朝日(エジプトと同じく、王の霊が蘇るという思想があったのか)の方向であり、そこに獅子座の神が祀られているのだ。
この位置は、前3000年頃の星の配置と同じであり、大和に一大勢力が存在していたことを意味するのか?
参考文献
「星空の卑弥呼 上」榊晶一郎著(星雲社)
ペルセウス座は尻を御者座に向け、中には天の川が煌いており、斑馬と見立てられる。
スサノオは斑馬に対し、天照大神は怒り、天の岩屋戸に隠れた。
岩屋の前では天宇受売命(あめのうずめのみこと)がストリップをし、手力男神(たづからおのかみ)が待ち構えている。
御者座の中の赤茶けた散開星団が乳首で、ヒアデスの"V"が陰部であった。
ヒアデス星団から伸びた天照大神の手は、御者座のエルナト(手力男神)に掴まれていた。それは、伊勢の大地にも描かれていると言う。
手力男神は「佐那県に座すなり」と記されており、三重県多気町の佐那神社には手力男神と天宇受売命が祀られている。
伊勢神宮の内宮-外宮にオリオン座の三ツ星を重ねると、伊勢地方北部の松阪から南部の志摩郡磯部町にかけて牡牛座・オリオン座とその周辺の星座が広がり、主要な星の位置には伊勢神宮関係の神社が位置している。
松阪市一帯はペルセウス座が広がり阿坂のあたりはアルゴル、佐那はエルナトにあたる。アルデバランは斎宮、メンカリナンは滝原宮、プレアデスは機織神社、シリウスは伊雑宮、尚、佐那神社にある「天宇受売命の和魂」(聖石)は、天宇受売命の上半身(御者座)とそっくりな形をしている。
エジプトでは巨星アルデバランの位置には赤いピラミッドが作られていた。
上賀茂神社もアルデバランの位置にあり、そこでも斉王制度が行われていた。
神と交わるのを目的としたものだったのだろうか?
プレアデス星団は7から8個の星が集まった姿であり、「織女八人」はそれに合わせて名付けられたのかもしれない。
アルタニクは内宮に当り、この星は特別に霊観念を持っていた。
丹後半島に乙姫座を重ねてみると、巨星スピカは京都府大江町の日室ヶ嶽に重なる。
θ(シータ)星の位置は大江山がある。ε(イプシロン)星の位置は久美浜湾があり、そこには兜山がそびえ、熊野神社が座し、山麓には巨石やドルメンがある。
β(ベータ)星の位置には、千石山がそびえ、ν(ニュー)星の位置には経ヶ岬がある。
γ(ガンマ)星の位置には、天橋立がある。
何れもピラミッドと呼ばれているか、あるいは神性な場所とされてきたと言う。
「古事記」「日本書紀」「神道五部書」などの記述はベースに陰陽道や宿曜道があったのか。
それとも、日本古来の星を見る技術があったのか。
陰陽五行思想は6世紀、宿曜道は8世紀には日本に伝来しているが古事記は712年、日本書紀は720年に成立しているので時間的に辻褄が合わない。
すでにインド占星術や陰陽五行思想等が日本に入って来ていたのだろうか?
否、エジプト、バビロニアやギリシャの占星術が伝えられたのか?
それとも、陰陽道や修験道の基になった思想体系に日本古来の占星術が含まれていたのか。
参考文献
「星空の卑弥呼 上」榊晶一郎著(星雲社)
参考WEBサイト
Onmyo-Do
http://astro.ysc.go.jp/izumo/onmyo.html
西洋占星術 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93#.E3.82.A8.E3.82.B8.E3.83.97.E3.83.88.E5.8D.A0.E6.98.9F.E8.A1.93
それゆえ、ポリネシアン(タヒチ)は、神の島と考え、イースター島へ向かったのかもしれない。
水瓶座は結び方(2通りある)によっては、人の横顔のように見える。
これはモアイとそっくり(窪んだ目、高い鼻、面長の顔)になる。
ポリネシアンの顔は丸く、鼻も高くはない。
モアイのモデルはポリネシアンでないことは確かだ。
水瓶座の黄道の部分に相当するイースター島のラインはテ・ピト・クラ(光のへそ)とアカハンガを結ぶラインである。
アカハンガにはイースター島の初代王ホツマツアが埋葬されている。
テ・ピト・クラは直径80cmほどの磨き上げられた丸い石で、太陽をシンボル化したものと考えられている。
このような例が世界各地にある。
エジプトのギザの三大ピラミッド(メンカウラー、カフラー、クフ)はオリオン座の三つの星を地上に写したものであるのだろう。
又、スネフェル()が赤いピラミッドを造ったのはアルデバランが赤色巨星であり、もう一つを屈折ピラミッドにしたのは、ヒアデス星団のε星に対比させたのだろうと言われている。
日本の神話も、星信仰に強く影響されていると言う。
イザナギ・イザナミを星信仰に照らし合わせてみると、この二神は牡牛座であることが分かる。
黄泉の国から逃げ帰る途中、投げた蔓の髪飾りはプレアデスのことであり、ブドウのように見える。
爪櫛とは御者座のことで、タケノコのように見える。
又、イザナミは火の神を生んで、ホト(陰部)が焼けて死んだのは、ヒアデスが陰部に相当し、その側の赤色巨星アルデバランが火の神に相当するのだろう。
牡牛座に太陽が重なった時、神々や祖霊が誕生するという思想は世界各地に存在する。
紀元前3000年頃、春分の時、牡牛座に太陽が重なった。
春分にはペルシア(イラン)やインドでは祖霊祭りが行われ、日本でも彼岸として先祖迎えが行われている。
スサノオ(牡牛座)は、天照大神(太陽)と出会い誓約(うけい)によって潔白を証明しようとした。
"天照大神はスサノオの十握剣を取って三段に折り、天真名井ですすいで、噛み砕き、霧状に吹き出した。その霧の中から三女神が誕生した。"
十握剣が牡牛座の角で、太陽がそこに重なったことを物語っている。
"次いで、スサノオが天照大神の髪と腕に巻いた五百箇御統を取って、天真名井ですすぎ、霧状に吹き出した、するとその霧から五男神が誕生した。"
「五百箇(いおつ)」は数の多いことを表しており、五百箇御統とはプレアデスとヒアデスのことである。
牡牛座と太陽が重なり、二つの星団は霧状となり、そこから五男神が誕生したと考えたのだろう。
また、前方後円墳の形は、丁度、銅剣の上に銅鏡を重ね合わせた形(墓から実際に出土した)と同じであり、これは誓約神話において、天照大神とスサノオが公会した場面と同じだと言う。
牡牛座の角に太陽が重なった時に、神々が誕生するのであり、被葬者への再生の願いがこめられているのだろう。
参考文献
「星空の卑弥呼 上」榊晶一郎著(星雲社)
参考WEBサイト
第4王朝 スネフェル
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/bekkan/chorono/farao21.htm
メンカウラー王のピラミッド - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%BC%E7%8E%8B%E3%81%AE%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89
カウラー王のピラミッド(第二ピラミッド) ギザにて
http://www.ourmystic.net/pyramid/002/0001.html
三大ピラミッド - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A4%A7%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89
オリオン座 - Cielo Stellato 88星座完全ガイド
http://www.toxsoft.com/stella/html/ori.html
星の 動き Ver.3.7 オリオン座の 位置と 動き
http://kids.gakken.co.jp/campus/academy/jisaku/contents/047orion.html
和歌山県新宮市には徐福の墓があり、この近辺はかつて熊野三山信仰でにぎわったと言う。
徐福信仰はいまだに生きており、「徐福さん」と呼ばれたり、「徐福の小祠」等も存在する。
また、佐賀市金立町では、農耕養蚕医業の神として祀られている。
その他、「徐福渡来伝説」は安芸厳島、尾張熱田、三河小坂井、秋田男鹿半島、津軽小泊、八丈島、青ヶ島、富士山、丹後半島など全国に分布している。
その多くは「蓬莱」と呼ばれる場所と関係している。
そもそも、中国の文献の中の「蓬莱伝説」自体が怪しさに満ちており、中国-日本の人の往来によって、伝説が益々拡大し、具体化した印象はぬぐえない。
日本の古典文学や、「神皇正統記」等にも徐福の名が登場する。
「日本書紀」では「蓬莱山」と書いて「とこよのくに」と読ませており、中国と日本のそれぞれのユートピア志向が習合したとも考えられる。
中国江蘇(こうそ)省カン楡県では、「日本という国を作ったのは徐福だ」と伝えられていると言う。
また、徐家の家譜も発見されており、かつて徐福村が存在していたことも分かっている。
「海内十洲記」(史記よりも320年以上後)にも徐福伝説が記されており、記述内容(童男童女が500人、船は楼船)が非常に具体的になっている。
後漢の「漢書」には、徐福・韓終らが逃げてしまい、怨恨をかった事が記されている。
晋の「三国志」の呉書、呉孫権伝では、徐福等が亶洲に着いて、数万程の家に栄え、中国本土(浙江省紹興市辺り)との交易に来ると伝えている。
南北朝、宋の「後漢書」東夷伝は、「三国志」を参考に書かれているようだ。
徐福の日本渡来説を初めて記したのは五代の五周「義楚六帖」(後漢書から約500年後)だと言われている。
この書では、日本国(倭国)が見え、徐福は日本国へ来たと記していると言う。
そして、蓬莱山を富士山とし、徐福はここに永住し、子孫は秦氏を名乗ったとある。
これは、修験者の言説が入り込んだと言えるかもしれない。
熊野(熊)と朝鮮は関係が深い。
「三国遺事」「朝鮮古記」によれば檀君は天神桓因の子桓雄と熊女との間に生まれ、平壌城で建国(朝鮮)したと伝えられている。
済州島には古くから徐福渡来説があり、朝鮮半島(慶州南道の南海島・釜山)にも伝承地があるようだ。
西帰市の海岸の「正房瀑布」という滝の絶壁に「徐市過此」という言葉を刻して、日本へ向かったとされている。
朝鮮の古代国家、秦韓国は、秦人の国であり、その一族は日本へも渡来している。
各地に伝わる徐福伝説は、熊野の修験者が広めたとも考えられる。
ところで、徐福が日本に来ていたとするなら、日本への漢字の伝来は紀元前ということになる。
日中両国の共同研究では、「徐福複数説」が注目されている。
南西諸島には徐福船団がやって来たという伝承地はない。
ところが、沖縄本島では秦に滅ぼされた燕の通貨(明刀銭)が出土している。
宜野湾市では弥生時代初期の中国系渡来人の骨が発見されている。
又、硫黄島鳥が硫黄(仙薬の原料)の唯一の供給地であった。
古代中国で珍重されてた「タカラ貝」も南西諸島でしか採取できなかった。
首里城「万国津梁の鐘」は、1458年鋳造の鐘ではあるが、その鐘の銘文には、みずからの国土を「蓬莱島」(三神山のひとつで神仙の住む島)お謳っている。
古代中国では、三神山は海中に存在すると言う。
徐福は秦の始皇帝の時代BC219年中国の寧波から、数千名の子供たちを引き連れ、東南の三神山(蓬莱山・方丈山・瀛洲山)に不老不死の妙薬を求めて船出した。。
9年後にも又、三千名の子供達や百工を引き連れて船出したと言われている。
徐福は、東方の島である亶州で王となり戻らなかった。
亶州とは琉球か九州の種子島の事ではないかと言われている。
沖縄では、アマミキヨが聖地ニライカナイから五穀の種子をもたらしたことが農耕文化の始まりとされており、徐福伝承と符合する。
琉球最古とされているミントグスクは道教の祭祀施設「明堂」である可能性が高く、「史記/五帝本紀」に記されている明堂の設計構造と新川鼻沖の海底構造物の配置や構造と重なる点も多く、神仙思想における聖獣「亀」のリレーフも配置されている。
超古代の文明の流れは、中国から沖縄なのか、逆に沖縄から中国なのかは特定できない。
沖縄海底遺跡が一万年頃の建造物であるなら、世界最古の巨石文明遺跡ということになる。又、4000年前頃のものであるならば、中国大陸との関わりが考えられる。
いずれにしても「史記」の中に現れる神仙思想の源流は分からない。
参考文献
「海に沈んだ超古代文明」クォーク編集部・編(講談社)
「徐福伝説」諸星大二郎著(創美社 ジャンプスーパーコミックス)
「徐福伝説考」つじ志保著(一季出版)
参考WEBサイト
2006年10月10日:不思議沖縄(沖縄の人は何処から来たか?)
http://ukon.ti-da.net/d2006-10-10.html
朝鮮の歴史 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
4.朝鮮における徐福伝説
http://www.geocities.jp/horuhorushiho/tusin4.htm
彼らはロシアの精神・魂を作品の中に隠していた。
「霊性(ドゥホーヴィノスチ)」がロシア人の全体なものへの傾斜を支える。
ロシア人は常に終わりを予感し、反面ユートピアへの志向も強いと言う。
ロシア人の信仰生活には、「ケノーシス」の理念がある。
己を無にして奴隷の姿をとったキリストを崇拝する心情。
また、全体と個人の融和又は自他合一のエクスタシーという概念(ソボールノスチ)があり、この全一性が神との融合の幸福追求に繋がっている。
スラヴ主義者ホミャコフ等はソボールノスチを「その成員がみずからの個性を失うことのない、愛と信仰によって結合した自由な共同体」と定義している。
神の中に入り、その中で人間の精神が灼熱した状態(熱狂)あるいは、神の中で分子運動が停止した状態(ユーフォリア)」に至上の喜びを見出す。
カトリックなどでは考えられないことだが、ロシアの信仰生活には人間が神になることを否定しない回路が存在するという。
これが、日本の「惟神の道(かんながら)」と通ずる観念なのか、まったく別のものなのか知りたいところだ。
ロシア語には、日本の言霊思想のようなものがある。
「ソボールノスチ」は、日本語に訳すと、「全一性」「集団性」「共同性」等、ひとつの訳に納まり切らない言葉であるという。
また、「ヴォーシチ」は、ヒトラーのような存在を指す言葉で、スターリンの死後は、全日成以外には使われない忌避すべき言葉であるらしい。
そういえば、ユダヤ教の「ヤハウェイ」又は「エホバ(在りて在るもの)」と呼ばれる神の名は、仮の名であって、本当の神の名は口に出すのも恐れ多いと言われている。
旧約聖書の天地創造で、神が「在れ!」といったら、そこに在ったという。
ここにも言霊思想がみられる。
ロシア語の中の言霊思想(?)は、日本の言霊思想やユダヤ教の中の言霊思想(?)何か関係があるのだろうか?
ロシアは、一部のオルガルヒ(新興財閥)と大多数の貧しい人々に二極化されている。
但し、オルガルヒの蓄積した初期資本が文化に惜しみなく投入されている。
プーチンの戦略は2020年までを区切りとして、ロシアを帝国主義国に再編しようとしているのか。
国家権力で、地政学に基づくイデオロギーとファシズムで国民をまとめるつもりなのか。ファシズムには極端な格差と貧困を是正し、共産主義的な処方箋も拒否するとう面がある。
ロシア的精神がヨーロッパ性とアジア性を合わせ持っていることが日本にとってプラスとなるか?
プーチンの娘(次女カテリーナ)は、日本好きでサンクトペテルブルク大学東洋学部日本語学科に入学している。
情報筋は「側近中の側近の強力な親日派」と注目しているらしい。
プーチン自身も日本通で、プーチンの影響力が強い時が日本外交にとって有利であることは言うまでもない。
ロシアは、着々と国力(発言力や経済力、文化等)を増強させており、昨年7/24、リトビネンコ氏(ロシア元情報将校)の毒殺事件で英国側が求めるルゴボイ・ロシア連邦保安局元幹部の引き渡しについてプーチン大統領は「ロシア憲法が引き渡しを禁じているのなら改正せよと英国はいう。わが国、国民への侮辱だ」「これは前世紀の植民地主義的思考の名残だ。変えるべきはわが憲法でなく、彼らの脳だ」と発言している。
チャーチルがスターリンの残虐性を見抜いたが、果たしてプーチンもスターリンと同様、ロシアと世界を恐怖をもたらす者であるのだろうか?
5/8、ロシアでは新旧大統領が政権運営に当たる異例の「双頭体制」がスタートした。
メドベージェフ新大統領は、プーチン首相(旧大統領)の愛弟子で、1994年プーチン(当時は議長)の顧問に就任して以来の付き合いであり2人の結束は固いだろう。
4/26の福田康夫首相との首脳会談で、北朝鮮による日本人拉致事件について「許せない行為だ」と述べ、かつてない強い口調で北朝鮮を批判し、拉致問題解決に向けての協力を惜しまない考えを示していたことが明らかになった。
現在のロシア的精神は強力に復活しており、日本が尊厳を持ってロシアに迎えられには日本的精神(切り刻まれて、埋められた精神とでも表現すればよいのだろうか?)が洗練された形で復活する必要があるのではないだろうか?
どこの国の国民も自国の文化を深く説明できない人間に対しては、薄っぺらく、信用のできない人物であるとみなすに違いないだろう。
偏った愛国心ではなく、自国の文化を愛し、相手の国の文化を理解しようとすることで信頼が生まれるのだと思う。
旧ソ連の映画「ソラリス」(タルコフスキー)では、東京が未来都市という形で登場していた。
また、韓国の李明博大統領は未来志向の「日韓新時代」目指すことを宣言しており、
中国の胡錦濤国家主席も、来日の際、円借款に謝意を示し「未来志向」も強調した。
日本を自国の「平和な近未来」もしくは、世界平和戦略に利用できると考えている面もあるのではないだろうか?
日本は、ぼけっとしていないで、世界を知的に先導する役割を買って出る(カネをばら撒くことではない!)ことを考えなくてはならないのではないだろうか?
参考文献
「ロシア 闇と魂の国家」亀山郁夫+佐藤優共著(文春新書)
参考WEBサイト
ロシア大統領と首相 / ワードBOX / 西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/display/5686/
プーチン大統領「北朝鮮許せない」 拉致問題に“激怒” 日露首脳会談 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080429/plc0804290111000-n1.htm
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黄河文明については、先行して長江文明が存在していたことが分かってきた。
最近の研究では、さらに人類の文明が時を遡るという証拠が見つかっている。
2万〜数千年前に100〜130mに及ぶ海面上昇があり、大規模遺跡は海面変動で海底に沈んでいると言う。
インド・カンベイ湾、与那国、英仏海峡、米・フロリダ沖・オーシラ川等、約1万年前の遺跡が続々発見されている。
富山湾海底林(1万年前の森がそのまま海底に沈んだもの)がある。
2003/02には、青森県川内町の田野沢海岸で5万年以上前(世界最古級)に水中に沈んだヒバの海底林(沈水林)が見つかった。
また、3万〜1万年前には、沖縄諸島は南北に細長く繋がっていた(琉球古陸)。
東南アジア(スンダ列島、ボルネオ島、フィリピン等)の大陸棚も1万2000年前は地上にあり、大陸(幻のスンダランド)であったことが判明している。
日本最古(世界最古)の土器は、1万6500年前のもの(1999年4月、青森県蟹田町出土土器)で、この発見で縄文時代開始時期がが5000年あまり早まった。
また、仏コスケ海底洞窟壁画は2万7000年前のものである。
1万年程前の巨石遺跡の多くには、自然の山や岩に手を加え形を整えているという特徴がある。
日本のピラミッドと言われている、クロマンタ等もこの特徴を備えている。
参考文献
「海に沈んだ超古代文明」クォーク編集部・編(講談社)
参考WEBサイト
海底林
http://toyama-brand.jp/Toyamawan/kaiteirin.html
世界最古級の海底林発見
http://www.47news.jp/CN/200302/CN2003022501000137.html
海底巨石遺構
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Jupiter/2914/newpage1.htm
与那国海底遺跡
http://www.wonder-okinawa.jp/024/
平田篤胤大人の著書の数は約百部千巻とも言われているが、学問の間口が広く、根柢が深すぎて未だに、正当な評価を得ておらず、ほんの一部の著書の特徴のみが強調されて論ぜられている。
愚かなことだ。
平田篤胤大人の著書の中にも神代文字に言及したものがある。
古代日本語(≒やまとことば)の原型は沖縄方言に多く残っているという話を聞いたことがある。
神代文字とは違うかもしれないが、与那国では古くからカイダ文字が使われていた。
また、沖縄のトキ(神事の日や時刻を定める民間の職能者)が吉凶禍福を占い、日選りをし、オタカベを述べる際に用いた「トキ双紙」には象形文字的な記号が書かれている。
また、サンニヌ台の崖には文字と考えられる刻印について、ジェームス・ホータック氏(アメリカの言語学者)は、「フェニキア文字」ではないかと指摘した。
*巨石に刻まれている文字らしいものを何でもかんでもペトログリフ(ペトログラフ)と
判定してしまう人たちがいることは科学的な調査を妨げる一因となっている。
斎部広成が日本独自の文化を護ろうとして、古代文字の存在を否定するような文(古語拾遺)を書いたために、それ以後、学者たちは混乱した。
子孫忌部正通は逆に、神代文字はあったと言っている。
「神代の文字は象形なり。応神天皇の御宇異域の経典初めて渡来せし以降、
推古天皇の御宇漢字を以て和字に付け給う」(神代巻口訣)。
推古天皇の頃、神道擁護派の物部氏は滅ぼされている。
「古語拾遺」が反神道的な立場で書かれた偽書であるかもしれないし、斎部広成が政治的にどういう立場にあったのかを考慮しなければ、言葉に振り回されることになるだろう。
明治政府の政策がらみの廃物希釈は、仏教が神道によって弾圧されたようなイメージがあるが、実際に廃社にあったり、神社由来書や御神体が取り上げたりして被害が大きかったのは古神道であった。
仏教は権力に阿る形で比較的うまく生き延びたようだ。
各地の神社と神道は国家神道の下に強引に統合されていった。
古くから皇室の神道儀礼を扱ってきた伯(白川)家や陰陽道を伝えていた土御門家も皇室から切り離された(元々天皇と神道は別物であったようだが...)。
明治政府は、欧米から資本主義を輸入するにあたり、資本主義を研究し、キリスト教が資本主義にとって必要不可欠であることを見抜き、日本の神道をキリスト教に似せて再構築した(国家神道の誕生)、そこから導き出される行動様式(働くことは神に祝福され、結果としての富)は資本主義の精神であり、日本人のもつ勤勉さとマッチした。
ところで、殷代後期(紀元前17〜11世紀)の甲骨文字は多くの場合、宗教儀礼に使われていたらしく、占いの結果を亀の甲羅や牛の骨に書き込んでいた。
日本の氏族や神社に伝えられた文字も謎が多い。
その多くは、江戸時代以降の創作だとしても、書き写されて伝えられたものも存在するだろう。
これらの文字も用途は甲骨文字と共通するものではなかったのか?
伊勢神宮(神宮文庫)に現存する奉納文は、藤原鎌足、稗田阿礼、和気清麻呂、菅原道真などによって神代文字(?)で書かれているが、偏見なく研究されているのだろうか?
銅鐸に書かれた文字(擬銘帯)についても、中国鏡の銘文をお手本に似せて書いた模様という説がある一方、神代文字に類似しているとする研究もある。
「日本書紀」(欽明天皇ニ年の注)には、その基礎資料となった「帝王本紀(すめらみことのもとつふみ)」では「古字(ふるきみな」が用いられていたが、世代交代で読みや意味も分からなくなってきたとの記述がある。
また、「古事記」(序)には、「諸家に伝わっている帝紀および本辞には、真実と違い、あるいは虚偽を加えたものがはなはだ多いとのことである。」との記述があり、古事記以前に複数の書が存在していたことが明記されている。
ただし、常識的に考えると、「古事記」や「日本書紀」が時の権力者による政治的な編纂物であり、偽書である可能性が高く、諸家に伝わったいる書の方が真実に近いのかもしれない。
いずれにしても、過去の権威による言説に囚われすぎると、大きな取りこぼしが発生するおそれがある。
天皇は、女性の霊力に支えられていた(この点に関して言えば、沖縄の霊的伝統と根底で繋がっていたといえる)ようだ。
猿女(さるめ)という、天皇の霊的活力の回復と強化を目的とする鎮魂祭で神楽の奉仕をする女性宗教者おり、祖神はアメノウズメであり、稗田氏の女性がその任についていた記録があると言う(「西宮記裏書」)。
平田篤胤大人は、稗田阿礼女性説を唱えた。
「古事記」が言霊の書であるという説がある。
稗田阿礼を依代(よりしろ)、太安万侶が審神者(さにわ)として、古事記を編纂したのだろうか?
古代史の真相を探るには、このアプローチ方法も必要であるかもしれない。
参考文献
「図説 神代文字学入門」原田実著(ビイング・ネット・プレス)
『「竹内文書」の謎を解く』布施泰和著(成甲書房)
「古史徴開題記」平田篤胤著(岩波文庫)
「甲骨文字の読み方」落合淳思 著 (講談社現代新書)
「日本書紀(下)」(講談社学術文庫)
「古事記(上)」(講談社学術文庫)
参考WEBサイト
最終章鎮魂祭の秘密
http://homepage1.nifty.com/fumio-y/honoo0086.htm
緋文字 - monologue
http://blog.goo.ne.jp/fumioyamashita/e/f6f96d76c49aa767edc494af834e4c5a
琉球固有の文字と世界の未読文字
http://www.wonder-okinawa.jp/024/japanese/moji/index.html
神代文字−日本的霊性
http://f35.aaa.livedoor.jp/~shinri/kamiyomoji.html
やまとこころ: 神代文字・プロトハングルの話
http://blogs.dion.ne.jp/amabegoro/archives/321651.html
東京大学総合研究博物館 デジタルミュージアム
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/DM_CONT/KOKOTSU/HOME.HTM
森の余白: 稗田阿礼は男か女か
http://blogs.dion.ne.jp/yohaku/archives/2150725.html
霊界物語の真髄 〜出口王仁三郎の真実〜
http://www.geocities.jp/susano567miroku/index.html
東緯137度11分の「羽根ライン」の他に位山を中心に24°隔てた羽根ラインが存在する。
石川県羽咋市-天柱医師-宝達山(モーゼの墓で有名)-岐阜県河合村羽根-位山-長野県伊那郡根羽村-静岡県磐田郡浅羽町。
岐阜県金山の巨石は、太陽や北極星の観測所である事が判明している(それ以外の目的にも使用されていた可能性もある)。
さらに、位山と岐阜県羽島市を結び、延長すると南北線からのズレは30°になり、そのラインには、北アルプス、立山の弥陀ヶ原(巨石がある)、新潟県糸魚川市羽生が乗る。
また、三重県鳥羽市(伊勢神宮の近く)と位山を結ぶと、愛知県東谷山(ペトログリフ、巨石がある)、高山市松倉山巨石郡、富山県尖山をかすめる。
これらは、古代の祭祀場所を結ぶ。
例えば、縄文時代に祭祀に使われていた場所を発見した後世の風水師がそのまま聖なる場所として使用し、さらに後の別の宗教に祭祀の場所として利用されたのかもしれない。
ところで、日本には能登以外にも多くの不思議な巨石が存在する。
「ホツマツタヱ」(偽書といわれている古文書には民俗学的価値が高いものが多いと考えられる)とも関係が深い福島県。
福島県伊達郡飯野町はUFOでも有名だが、千貫森とその周辺には巨石群がある。
沖縄諸島の与那国島の海底遺構は世界的にも注目を浴びており、今後の展開が楽しみであるが、与那国島以外にも海底遺構が次々と見つかっている。
南西諸島の伊良部島、粟国島、沖縄本島の北谷沖、慶良間諸島の阿嘉島沖、奄美諸島の喜界島等...。
与那国には、古代から伝わる象形文字(カイダ文字)があり、竹内文書に出てくる神代文字のひとつと酷似している。
三内丸山の巨大な建造物の復元図を見たときから、文字がないのにこんな大規模建設が計画できるだろうかと思っていたが、文字が日本各地にいくつも存在していたと考えるほうが自然だと思う。
世界最大のストーンサークルかもしれないと言われているのが高知県足摺岬で、唐人(唐の国の人という意味ではなく、どこか知らない国の人という意味)駄場遺跡・唐人石巨石群は長径200mのストーンサークルと見られている。
巨石ではないが、京都府京都市左京区鞍馬本町の鞍馬寺に伝わる話では、奥の院・魔王尊殿に金星人サナト・クマラ(650万年前に飛来した)が祀られていると言う。
また、熊本県阿蘇郡陽町の幣立神宮には五色神祭りという祭りがある。
ここには、ユダヤの秘宝「水の玉」や、五色人の神面も奉納されていると言う。
モーゼらユダヤ人も訪れたという伝承もある。
「竹内文書」とリンクしているのか?
参考文献
「日本珍スポット100景」五十嵐麻理 著(ぴあ)
『「竹内文書」の謎を解く』布施泰和著(成甲書房)
「縄文夢通信―縄文人は驚くべき超文明を持っていた」 渡辺豊和著(徳間書店)
「大江戸魔方陣―徳川三百年を護った風水の謎」加門 七海著 (河出文庫)
「東京魔方陣―首都に息づくハイテク風水の正体」加門 七海著 (河出文庫)
参考WEBサイト
岩石信仰の対象とその祭り
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/minzokukei.html
金山巨石群と太陽暦
http://portal.seiryu.ne.jp/portal/eventtour/kyoseki/index2.html
福島県飯野町公式ホームページ
http://www.town.iino.fukushima.jp/


