ä、ë、ö の母音があったと言う。
今日、上代特殊仮名遣における甲類、乙類として区別されている。
甲類、乙類の区別のあるものは、「き」「け」「こ」「そ」「と」「の」「日」「へ」「み」「め」「も」「よ」「ろ」。
さらに、上代は、ア行の「え」とヤ行の「え」も区別されていた。
「対馬」「一支」「末盧」「伊都」「奴」「不弥」が万葉仮名の読み方で読める。
「魏志倭人伝」(三国志)に出てくる他の「倭人語」も万葉仮名の読み方で読むと、「邪馬台国」はヤマトの国と読め、「卑弥呼」はヒミコと読める。
また、安本美典氏は、奈良時代の日本語と朝鮮半島の言語は通訳なしで話が通じたという説を、言語学的にはこじつけで、でたらめであると指摘している。
言語年代学的方法により、7000年〜1万年ほど前にはすでに両言語は分裂していたと算定されている。
ところで、中国書の言う「倭人」は時代によって違うようだ。
「魏志倭人伝」の「倭人」は、日本人のことであるようだが、他の史書では「倭人」を漢民族以外の未開人というような意味で使っていることが多いらしい。
「論衡」(後漢) には、"倭人、暢を貢す"とあるが、暢(霊芝)の産地であった中国四川省巴国か蜀国の倭人を言っているようだ。
「山海経」には、"蓋国は鉅燕の南、倭の北に在り。倭は燕に属す。"とあり、これも山東省中央部以南から江蘇省・安徽省当たりのことを言っているようだ。
「後漢書」の馬韓の条に、"その南界は倭に近く、また文身する者あり"とあり
同書弁辰の条にも"その国は倭に近く、故に頗る文身する者あり"とある。
ここでの倭人は、狗邪韓国(朝鮮半島南端)の人達のようだ。
また、"倭は韓の東南の大海の中に在り、山島に依りて居(すまい)をなし、凡そ百餘国なり。武帝の朝鮮を滅ぼしてより、使訳の漢に通ずる者三十許(ほど)の国にして、国は皆王と称して世世伝統す。その大倭王は邪馬台国(やまと)に居る。"
の部分は、「三国志・魏志倭人伝」を参考にした形跡があるとのことだ。
「晋書」も、「三国志」「後漢書」「漢書」地理志などを参照に引用しており、
「隋書」の時代でも、中国は日本列島の位置が正確につかめておらず、
"邪摩堆(やまと)に都し、則ち魏志の謂う所の邪馬台(やまと)という者なり。古に云う、楽浪郡境及び帯方郡を去ること並一万ニ千里にして、会稽の東に在り、膽耳と相近しと。"
の箇所は「後漢書」を参照し、「北史」と同文であるらしい。
その他、「宋書」、「梁書」、「南史」等も「後漢書」や「三国志」からの引用が多いようだ。
「旧唐書」には、"倭国は古の倭の奴国なり"という初登場の記述は見られるが、多くは「隋書」からの引用であるらしい。
中国書に見られる邪馬台国についての記述は、あまり信用ができるものと思えないが、「三国志・魏志倭人伝」と記紀の記述と照らし合わせると、邪馬台国は九州にあったと見るのが妥当であるようだが、個人的には卑弥呼のいた倭国は沖縄であったような気がしてならない。

